お葬式は忙しい その3 |
2011/08/07(Sun)
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前々回 → 「お葬式は忙しい その1」
前回 → 「お葬式は忙しい その2」 お葬式の話しの続き、最終回です。 仮通夜の部屋で、 私と父(前回のブログで私の両親来たと書きましたが、間違いで父のみでした) と、母の妹夫婦の前に現れた葬儀屋さんは オードリーの若林くんを可愛くした感じのお兄ちゃん。 彼が今回の葬儀を取り仕切ってくれるそう。 若くて、カワイイお兄ちゃん。 ちょっと~嬉しいじゃない~。 ねぇ、ヒーバー♪ 若林くんに、こちらの希望の葬儀を伝えます。 「家族葬でお願いします」 と。 95才のヒーバー。 近所付き合いも、ここ十年以上無く。 (友達も死に絶えて…は、定かではない) ヒーバーの姉も妹も既に他界。 デイケアも利用していないし。 何と言ってもお金がない。 と言った理由で。 ところがね、「家族葬」をするって、 事前にある程度の「覚悟」と、 ヒーバーが生前に得る「親戚の理解」が必要なのよね。 こちらの想像以上に、 集まっちゃうのよ(-_-;)。 ヒーバーは母方の祖母で。 母は、妹と2人姉妹。 私は3姉妹で、母の妹は息子が1人。 これだけで、十分「家族葬」なのよね。 (これでも多いらしい) なんだかんだで定員オーバー(;´Д`A ``` 通夜や葬式はそれでもいいのだけれど、 おとぎや、通夜後の食事なんかがね。 いや、通夜や葬式も、少し混乱したかな。 家族葬だから「受付」がなくて。 定員オーバーをカバーしたのは、 若林くん。 彼は、カワイイだけではなかった。 低予算だけはビシッと押さえ、 私達と、集まった人達のフォローをしてくれました。 いい人~(T∇T) 若林くんの頑張りで、 葬式スケジュールは進んで行きます。 お葬式では、 母(ボケている)が喪服ではなく、黒のTシャツ+素足で参加も、 誰もたいして気にする様子もなく、 葬儀屋さんから紹介して貰ったお坊さんに書いてもらった、 位牌の字が汚く、その上、戒名の読み方を誰も知らなくても (次の日、お寺にお布施を持って行ったのですが、元から字が上手では なかったみたいで、初めて会ったから適当に書いた訳ではない事が判明。 ホッとしました。ちなみにお布施は15万円。破格値だそうです。そうなの?) 誰も気にする様子もなく。 ヒーバーが生前、自分のお葬式の時に流して欲しいと言っていた 民謡テープ(ヒーバーが歌っている)をかけて、 同じく生前、棺桶に入れて欲しいと言っていた 父親(ヒーバーの)の写真やらと 唯一の男の孫が買ってきてくれた お土産を棺に入れて、花に包まれ骨になりました。 95才とは思えない、20才は若い骨の状態だったそうです。 さすがだね、ヒーバー。 これで無事、葬儀+火葬、終了~ε-(´ー`*) 。 MVPをあげたい若林くん。 彼のおかげで、仮通夜、通夜、葬式を乗り切った感じだもの。 しかも、低低低予算はキープ☆ 私はこのお礼を何かしたくて、 互助会に入ることに(〃∇〃)ヾ 父も既に入っているのだけど、さらに追加して入るらしい。 若林くん、意外とやり手なのかも。 ところがね、若林くんの名前で入るには、 葬儀後、3ヶ月待たなければならないらしいの。 若林くんは営業ではないから、「荒らし行為」になってしまうそうで。 ええ、ええ、待ちますとも3ヶ月。 3ヶ月後、再会を約束して、 私達はヒーバーの骨を抱え、家に帰りました。 現在、お礼状、お返しをほぼ済ませ、 やっと落ち着いた感じです。 ヒーバーの部屋の片付けが残っていますが 特に何も出てきそうにないし(〃∇〃)ヾ 捨てるばかりになりそうですね。 もし、面白い物が出てきたら また書きます。 スポンサーサイト
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お葬式は忙しい その2 |
2011/08/05(Fri)
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前回の続き (前回→お葬式は忙しい その1)
葬儀屋さんの和室に通された、私とヒーバー。 というか、私一人と、死体のヒーバー(´∀`;A この部屋で、今日は「仮通夜」です。 枕経を読経してもらいます。 ここで気になるのは、我が家の宗教。 家族全員うっすらとしか知らないんだもの(;^_^A ちょっと困りましたが、葬儀屋さんからお坊さんを紹介してもらい、なんとかOK!(〃∇〃)ヾ そして、もう一つ気になる私の父母。 何をしているかというと… 親戚が来るまで家にいるとのことでしたΣ( ̄□ ̄;;;)!! 葬儀屋さんは、 「家族が来てから今後の説明をします」と 部屋から離れ、部屋にはヒーバーと私だけ。 二人っきりも、30分かそこらだと思っていたら、 父母と、母の妹夫婦が葬儀屋に到着したのは、それからずーーーっと後で(-_-;) おかげで二人きりの時間をゆったり過ごせましたよ。 暇なので、ヒーバーに愚痴を言います。 「この二人っきりの状況って普通だと思う?」とか。 「こんないきなり死ぬなんてビックリだよ。まったく」 とか。 「うちね、熊本旅行の予定だったんだよ」とか。 きっと、棺桶の中で、 「スミマセン(´・ω・)」 って、前のように言ってたかな? 最期の1ヶ月は、何を言っても理解ができなくなっていたヒーバー。 返事もろくにしませんでしたが、 それよりちょっと前のヒーバーは、 「お世話になります。スミマセン(´・ω・)」てよく言ってたんだよね。 そんな所はカワイイばあちゃんだったな。 でも最期の1ヶ月は大変でした。 トイレが特に。 オムツを嫌がり、履かなくて。 トイレに行きたくないものだから、全部部屋でしちゃうし。 そしてそれらを隠す。 デイケアや施設(ショートステイ)なども行きたがらず、 行かせてもトラブル?を起こし、迎えに行くことになった事も数回。 家を出るのが嫌で、病院もダメ。 着替えと病院への付き添いは私の仕事だったけど 嫌がるヒーバーを着替えをさせるだけでも一苦労していました。 ムリヤリ病院に連れて行っても、待ち時間はずーっと、トイレ。 お風呂の介助は腰の悪い母がやっていたんだけど、大変だったろうな。 いつかは私も…。 一人息子のoboに迷惑掛けたくないな…。 ホントに考えさせられました。 とか何とか考えてる時に やって来ました、両親と叔母夫婦。 そして葬儀屋さんが… あっ(゚Д゚;) オードリーの若林?? と、今回はここまで。 次はオードリーの若林君似の葬儀屋さんのお話です。 |
お葬式は忙しい その1 |
2011/08/04(Thu)
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先月28日にブログを更新した翌日、
ヒーバー(私の祖母)が逝ってしまいました。 95才なので、いつ逝ってもおかしくはない年齢なのですが 前日まで、母に文句言ってたくらいだったし、 性格的に、もう少し粘るタイプだと思っていたので 突然の逝きっぷりに、驚きました。 ふざけているのではないのですが、 (ふざけて見える文章になってしまいそうだけど) ヒーバーが亡くなってからどんな事が起こったのか書きます。 29日の朝、父から「ばーさんが死んでいるような気がする」と電話があり、 急いで実家に駆けつけると… 「ような気がする」っじゃないだろっ!って言いたくなる姿 Σ( ̄□ ̄;;;)!! 「あれは、どっから見ても死んでるよ!」と父に言うと 「どうしようか…(;´д`)」と父。 どうしようかってさ。 どうすんの??って感じです。 どうします?こんな場合? 今でもわからないのですが、119番に電話したんです。 もしかしたら爆睡してるだけで生きてるかもしれないし(´∀`;) 119番に電話すると… 電話に出た救急隊員の方が、 「ヒーバーをベッドから降ろせ」って言うんですよ。 ガ━━Σ(゚д゚lll)━━ン!!! 「ムリムリ~無理だし、そんなの~(´Д`|||)」と言いたいのを ガマンして、固まっているヒーバーの身体をベッドの下に降ろしました。 そして「心臓マッサージをしろ」と。 やったことないし~ヽ(;´Д`)ノ で、やった所で絶対生き返りそうにないし。 と思ったので、マッサージは母に任せ、 私は身だしなみとして化粧をしました。 (↑ヒドイ孫です) そんなことしてると、救急車が家にやってきました。 救急隊員は一目見るなり、もう亡くなっていると判断。 そりゃそうでしょう。 そんな感じだもの。 亡くなっている人を病院には連れていけないからと、 警察を呼んでくれました。 それから警察官がゾロゾロやってきて (化粧してて良かった) 事情聴取?的な事が始まり、 検視?検死?をします。 事件性がないということで 医師を呼び、死亡診断書を書いて貰います。 その医師に払うお金が3万2千円。 だいたい4万円近く取られるらしいです。 高っ!(;´Д`A ``` 事情聴取の間に、警察官から葬儀屋に連絡しては?とアドバイスが あり、互助会に入っていた葬儀屋さんに電話。 ついでに知らせないといけない親戚にも連絡。 お医者さんが言うには、早朝5時頃、自然と眠ったまま亡くなったのではという話しでした。 うん。寝てるだけに見えるもの。 お医者さんが帰った後、葬儀屋さんがヒーバーを引き取りに来ました。 その車に、葬儀屋さんと私とヒーバー(故)で葬儀場へゴー。 と、葬儀屋さんまでのお話はここまで。 |
誰からのお菓子? |
2010/03/01(Mon)
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今日も祖母(たぶん94歳)のお見舞いに。
するとベッドの横に 石村萬盛堂のお菓子「鶴の子」が。(鶴の子) 祖母に誰から貰ったかと聞くと 「ん ・・・・ (´_ゝ`)??」 わからない様子。 誰かお見舞いに来た?と聞いてもわからないと。 同室で退院する人から貰ったかもと言う祖母。 う~ん、1箱(12個入り)を貰うかなぁ?( ̄_ ̄|||)どよ~ん お見舞いに来てくれた人がいるのならお礼を言いたいし 快気祝いの事もあるし こんな時、どうすればいいのかな(;´д`)。 鶴の子って若い人が持ってくるお菓子じゃないから やっぱり同室の人なのかなぁ? |
90歳をすぎても |
2010/02/21(Sun)
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この年になって初めて入院した祖母、たぶん94歳。
頭の中が小麦粉で出来ている母よりしっかりしてます。 (前に脳内メーカーみたいなのって流行ったでしょ。母は小麦粉だった) お見舞いに行くと、いつも母の心配ばかりしている祖母。 「母は手が掛かって大変なんだよ」と祖母に愚痴ると 「迷惑掛けてスミマセン」と平謝りの祖母です(´∀`;)。 そんな祖母なのですが 「何か欲しい物ある?買ってくるよ」と言うと 「ううん、いらない、だってね・・・(と小声になり) 盗られるんだよ、あの人に」 とお向かいに入院中のおばあちゃんを指さす。 ナヌ?Σ(゚Д゚; ))) お向かいさんは、どう見ても動けそうにないおばあちゃん。 他人の物を盗るどころか、 きっと一人で食事もできないよ・・・・(´Д`|||) 。 ・・・年を取るとそんな事言い出すんだよね~。 ったくもう。 言っても無駄そうなので 「盗られたら、また買ってきてあげるから」と 慰めるしかありません。 ホントに手の掛かる母子(祖母&母)です(-_-;) 。 |
看護と、小学校の役員と、子供会会長~(´Д`|||) |
2010/02/19(Fri)
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ご無沙汰していてスミマセン。
2005年からこのブログを書いてますが、 こんなに間があいたのは初めてかも。 なんだか最近忙しいのです。 そしてこれからもっと忙しくなります(ノ∀`。) 考え無しに引き受けてしまう自分が悪いのです。 去年の年末から母が糖尿病で入院していまして 1月18日に退院して実家に戻って来ましたが 自分でインスリン注射が打てず(痴呆が入っている為) 父が仕事に行って不在になる夕方の注射だけ 訪問看護さんに頼むことになりました。 「体温・血圧を測り、血糖値を測り注射を打ち すぐに夕飯を食べさせ、食後に薬を飲ませる」 という事をやって貰うのですが 母は我が儘で、どうしてもご飯を食べるのを見られたくないと言うんです。 という訳で、分担することに。 父の仕事の休みの日(月曜日)は父が。 訪問看護さんは最低週4回来て貰わないと頼めないので 訪問看護さんは、火・木・土・日曜日。 (注射後の夕食食べ始めまで見てもらい ご飯が終わったくらいに私が母に電話をして薬を飲んだか聞くことに) 残りの水・金曜日は私が実家に行き、一通りの事をすることになりました。 ・・・と、やっていたら、祖母が入院(´Д`|||) 。 入院時、週に2回はお見舞いに来てくれと病院に言われ、 月・水・金曜日の病院通いが始まりました。 病院だらけのスケジュール帳だと笑っていたら・・・ 小学校の役員と、子供会の役員の話がきました。 ・・・で、来期のPTA副会長、子供会会長になってしまいました・・・ llllll(-_-;)llllll ずーん PTA副会長は来年もやらなくてはならず(2年連続)、 来年は町内会長の仕事もやってくるので、 さすがに、PTAと子供会と町内はできないでしょう。 泣く泣く今年子供会会長を引き受けたという次第なのです。 どうなるのでしょうか。 できるのでしょうか。 不安です。 ブログが書けるのでしょうか。 不安です(ノ∀`。) |
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